[エピソード2]技術の原点はここにあり/協会立ち上げまでの道のり

専門3年生になり、就職活動が始まって

3社ほど面接受けましたが全然受からず

書類だけで落ちるばかりでした。

 

まぁ、そこまでそこで働きたい気持ちもないし

そこの社風に合わせるようなこともしてなかったし

当然と言えば当然でした。

 

その頃の専門学校の就職担当の先生は、本業が

カウンセラーや占いをしている方だったのですが

話が面白くて、私は

結構なついていたような記憶があります。

 

ある日突然呼ばれて

「ここ受けてみたら?」

と、提示されたブランドが

こんな私が10年も勤めた某外資ブランドです。

 

その頃の某外資ブランドはまだ日本になく

海外で特殊なメイクさんが使う

すごく個性的なブランド。

という認識しかなく

 

並行輸入で置いてあるお店もありましたが

青や黒の口紅など、どうやって使うの?

ってものばかりでした。

 

そう。

その某外資ブランドが日本へ上陸するため

オープニングスタッフの募集でした。

20周年パーティの時の写真

 

一期生なのでもちろん経験者がほとんど

その中で新卒採用枠が

43人中5名までと決まっていたらしく

 

さらに

同じ専門学校から5名までしか面接できない

そして

同じ専門学校から2人までしか採用しない

 

という狭き門だったようです。

 

就職担当の先生に、なぜ私なんですか?

と聞いたら

「向いてると思って」

とシンプルな答えでした。

 

某外資ブランドの面接は三次まであり

一次はグループ面接

二次は個人面接

三次はメイク試験と筆記(適性検査と国語と英語だった気がする)

 

合格通知もらって

え?ホントに?

とちょっと信じられないような

なんとも言えない気持ちで

某外資ブランドをよく知らなかったが故に

あまり緊張しなかったのかもしれないです。

 

あ、ちなみに

同じ専門学校から2人までという

そのあと1名は誰かと言うと

大阪の同じ系列学校から受かっていまして

その彼女は、

私が徳島の高校時代に一番仲の良かった友達が

大阪のその専門学校へ行き、

そこで一番仲の良かったのがあと1名の彼女です。

 

なんとも世間が狭いよね。

 

そしてその同期の彼女とは今でも大親友です。

 

 

某外資ブランドは知っている人は知っている通り

当時からものすごい人気で

メイクブランドブームの火付け役として

本当に目立った存在だったと思います。

 

見た目派手ですけど

全員メイクが大好きだし上手だし

本当に真面目!

クソ真面目って言っていいくらい真面目です。

 

上下関係はほとんどなかったですけど

仕事に関しては本当にストイックに

真剣に取り組んでいました。

 

きっと今でもその風潮のままなんじゃないかな。

 

10年間の出来事は書ききれないけど

楽しかった事ばかりじゃないし

人間関係も色々あったし

仕事自体もめちゃくちゃハードでしたけど

 

メイクのことに関しては

あらゆることを経験させてもらいました。

 

これがあったからこそ

今の私があると言い切れるほど

素晴らしい体験ばかりです。

 

「プロチーム」があり

メイク試験に受かると現場仕事に行かせてもらえます。

東京コレクション

その他ファッションショー

プロモーションビデオ

雑誌

テレビ出演

ブロードウェイミュージカル

など

この時にバックステージを経験していたことで

今のフィットネスの大会メイクの

作り込みや映えなどの原点になりました。

 

 

9年目の時、私は長女を出産します。

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