[エピソード3]メイクを教える仕事に就いたきっかけ/協会立ち上げまでの道のり

当時、BAが子育てしながら働くなんて

あり得ない時代でした。

国内ブランドはカンガルーケアなどの体制があり

時短勤務などでるようでしたけど

外資系ブランドではその前例もほぼなく

 

産むなら辞めろ

 

です。

 

意地悪営業がわざわざやって来ては

イヤミを言って

 

「ずっと働いていてもあなた幸せじゃないんじゃない?」

「働く以上はみんなと同じことをしてもらいますから」

 

と、子育て中では

到底無理なことを言われたりしました。

 

特に私の場合は

主人と私共に両親が地方で

身内が近くに誰も居ず

主人もフルタイムの会社員で休めず

今のように病児保育制度なども少なく

あってもあの頃はかなり高額で

到底利用できる状況ではなかったのが現実です。

 

 

まぁね

私が働けないことで

フルタイムで働く方々に負担が増えることは確か。

 

自信の喪失

子育てと仕事の両立の難しさ

 

この時の出来事が

私がフリーランスで飛び出すことを恐れて

出遅れるきっかけだったんじゃないかと思っています。

 

現場で働くことに限界を感じていた10年目

職場のスタッフや環境に

とても恵まれた時期がありました。

 

そこで決断。

 

幸せな今、感謝できるときに辞めようと。

 

メイクはしていたかったんですけど

子育てをちゃんとできるところで働こうと決めました。

 

小さな娘たち♡可愛いね(親バカ)

長女は体が弱く0歳で3回入院しました。

食物アレルギーがかなり重症で

食べられるものを言ったほうが早いほど

ほとんどのものがダメで

夜泣きがひどく泣き出すと1〜2時間止まらない。

泣かなかった夜は

2歳を過ぎるまで1日たりともなかったです。

 

当然寝不足

母乳からもアレルゲンが出るので

自分の食事も制限。

でも旦那さんには普通の食事を作って…

 

そんな中働いていたので

身も心もボロボロでしたね。

 

某外資ブランドを辞めて働いたコールセンター

1年ちょっといたんですけど

疲労で髄膜炎になり入院しました。

 

思い出すのもしんどいので

ここのあたりは飛ばします。

 

ここで転機が訪れます。

ふらっと派遣で入ってきた方がいて

普段はフリーランスでヘアメイクやっていると。

 

その方はたった3ヶ月で辞めていったんですけど

「いいとこ見つけたんですよ、一緒に働きませんか?」

と声かけてもらいました。

 

そこが

それから7年間働くこととなる

今の土台ともなったメイクサロンです。

 

美容の現場で子育て中の人が働けない理由とは

一番は時間帯。

次に、お客様対応の仕事なので

子供が熱出たなどの理由で早退すると

すごく嫌がられますし

休みますと言う自分も本当に苦しいのです。

 

ところが

 

ここのメイクサロンのオーナーさんは、

自身もその苦しい時代を乗り越えて来ているので

とっても理解があり

むしろ子育てでやらなくなったからこそ

母親は仕事に対してやる気があり

頑張ってくれるからサポートしたいと。

 

その頃の私には、

神様か⁉︎ってくらい有り難く

この方々のために一生懸命働こうと

心の底から思いました。

 

これが「人にメイクを教える」という

仕事のスタートです。

次話へ

目次